6月20日に親父が他界した。78歳だった。

今は通夜・葬儀がひと段落し、役所関連の手続きや電気ガス水道などの名義変更・口座変更の事務処理を粛々と行っている。

親父は73歳だった2013年からパーキンソン症候群になり、合併症として認知症も患っていた。

2003年に定年退職して家にずっといるようになったのだが、老後の自己中心的な暮らしぶりに親父と他の家族との関係は悪化していった。

当時、母は離婚も考えていると話していたのを覚えている。

 

パーキンソン症候群と認知症になった際、病気のせいとはいえ、かなり煩わしく思った。

1人では歩けず、トイレや食事にも介助や車椅子が必要な上、認知症特有の幻聴や幻覚、昼夜逆転の生活リズムに介護をする家族の方が参ってしまったのだ。

 

一番介護していたのは母で、1年近く24時間体制の介護を続けた結果、42キロあった体重が35キロまで減ってしまい、過労で倒れてしまった。

このままだと、介護で家族がボロボロになると思っていたところ、2014年に親父は脳梗塞を発症。

いよいよ寝たきり状態になり、医師から主な介護者が母ではもう自宅での介護は無理なので療養病院に入院させなさい、と言われた。

 

療養病院をようやく探して入院させた後、長らく見舞いにも行かなかったんだが、その時は突然やってきた。

夜の19時半に母親から電話が来て、親父が肺炎で亡くなったと連絡が来たのだ。

 

実はもしかしたら亡くなるのかも?という予感があった。

5月の末か6月の初め、親父の夢を見た。どんな夢だったかは覚えていない。ただ、親父の夢を見たという事実だけはハッキリと覚えている。

それ以来、数日間、親父との思い出を思い出す日々が続いた。幼少期から社会人になってからの親父との思い出を回想したのだ。過去今までそんなことをしたことはなかったのに。

小学生の頃、近所の公園で親父とキャッチボールをした思い出、定年退職してから珍しく小遣いをもらった思い出、ケンカした思い出、介護した思い出。色んなことを思い出した。

珍しく親父の見舞いに行ってみようかな、と思ったのだけど、仕事が忙しかったのでそのままにしておいた。今思えば、あれは親父が自分がもう長くないと悟って、夢の中で最後に見舞いに来て欲しいと知らせに来ていたのかもしれない。

 

兄貴は家族の中で親父と一番関係が悪くなっていたのだが、親父が亡くなる日の朝だけは親父のことを考えたそうだ。

普段、泊まりの出張が多い兄貴もこの日は珍しく会社(東京)にいる日だった。

 

親父が亡くなる前週に、俺は年老いた母を連れて長年会っていなかった親戚を訪ねに北海道に行った。その長旅の疲れで俺も母も体調を崩していたんだが、親父が亡くなった日は体調が多少回復して外出できる状態だった。

病院の看護師さん曰く、俺と母が北海道に行っているときに肺炎を発症し、亡くなるまで1週間近く持ちこたえていたとの話だった。

 

亡くなる前日、母が親父の見舞いに行った際、親父は黙って母を見つめ続けたそうだ。5分くらいジッと見つめられて母は「なによ、あなた、お見合いじゃないんだから、そんな見なくても良いのよ」と笑ったという。親父は自分の死が間近に迫っているのを悟って無言で母に別れを告げていたのだろう。

 

実は、俺は彼女ともそれまで少しすれ違いがあって、これは別れの前兆なのかな?とちょっと感じていた。

でも、親父の死をキッカケに彼女が通夜・葬儀に参列したいといってくれたり、彼女の実家も香典を出してくれたりと、一気に関係を改善できた。

これはもう、別れつつあった俺らを見かねて親父が助けてくれたのかな、と思っている。

 

亡くなる数週間前に唐突に見た親父の夢。家族全員が東京にいてすぐに駆け付けられる日だったこと。彼女とのすれ違いも一気に解消したこと。

今まであまり幽霊や霊感など、非科学的な話には興味がなかったのだけど、肉親の虫の知らせだけはあるのかもしれない、と思うようになった。

 

もし、この記事を読んでくれているあなたが長らく会っていない肉親の夢を見たのなら、たまには電話をしてみたり、会いに行ってみても良いかもしれませんね。虫の知らせ云々は関係なく、たまの再会は相手も喜んでくれるはずです。


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ブログ運営者:塚本順一


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